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64件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-02-24 第204回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

感染研ルーツは、北里柴三郎博士ドイツから帰国した際、福沢諭吉翁の支援で創立された伝染病研究所です。伝研と略します。当初、私立衛生会附属でしたが、内務省、文部省東京大学と移管され、第二次世界大戦前は日本最大感染症研究所でした。最盛期には、感染症の基礎や治療法研究を行うとともに、治療血清ワクチンの製造、検定、認可、販売まで事業範囲は広がったようです。

岩本愛吉

2014-05-15 第186回国会 参議院 内閣委員会 第14号

これは、帰国後、伝染病研究所における抗血清作製風景でありますが、しかし考えてみますと、これ、今の基準からいいますと、品質管理という点では非常に問題があるわけです。これが今の一つのキーポイントになるということであります。  そうは申しましても、五ページ目、成功例はたくさんございます。特に有名なのは胃カメラ内視鏡であります。

永井良三

2009-04-01 第171回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号

医科学研究所は、ここに見えているところがそうですけれども、港区白金台にございまして、明治二十五年に、ドイツから帰国しました北里柴三郎福沢諭吉が援助する目的私立伝染病研究所としてできましたが、大正時代文部省を経て東京大学に移管されまして、現在では医科学研究所ということで、感染症以上に広く、ゲノムでありますとか幹細胞、そういったような広い研究所として機能しておりますが、全国で今、大学附置研究所としては

岩本愛吉

2009-04-01 第171回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号

参考人岩本愛吉君) まず最初国立感染症研究所ですけれども、私が今日、最初に御紹介しました私の所属いたします医科学研究所の前身は伝染病研究所と申しましたけど、戦後まで同じルーツでありまして、基本的には、伝染病研究所は要するに感染症の診断をするだけでなくて治療薬もすべてやっておったわけで、その辺を分けるということで伝染病研究所と当時は国立予防衛生研究所

岩本愛吉

1974-02-23 第72回国会 衆議院 予算委員会 第21号

あるいは群馬大、これは同じく一九七〇年、三万九千五百五十ドル、北里伝染病研究所これは一万二千四百四ドル、一九七一年であります。  私は、この資料に基づいて、文部省は、これらの大学研究機関がペンタゴンから一体どのような研究項目を与えられて委託研究をしたか、直ちに調査の上、当委員会に報告をされたい。  一例だけあげておきます。たとえば奈良県立医大の場合であります。

楢崎弥之助

1970-07-10 第63回国会 衆議院 社会労働委員会 第24号

内田国務大臣 だんだんお話を承っておりましたが、いろいろワクチン——これはいまのお互いの問題でございますが、ワクチンについて日本の池田、大連株がはなはだ劣っておるとか、あるいはリスター株が非常にそれよりもすぐれておるとか、あるいは東大伝染病研究所で開発された矢追抗原というものを用いなかったことについての批判とかいうものがございますが、私は専門家ではございませんが、今度専門家に厚生省にお集まり願って

内田常雄

1970-07-07 第63回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

説明員加藤威二君) 矢追抗原につきましては、先生御指摘のように昭和四年に東京大学伝染病研究所矢追博士研究開発されたものでございますが、問題は当時より力価が非常に低いということと、一番問題なのは力価安定性が非常に悪い、こういうことで、苗痘といたしまして使う場合には力価安定性ということが非常に大事な問題でございますので、そういうことで、苗痘として採用することはなかなか困難であるということで

加藤威二

1969-07-23 第61回国会 衆議院 外務委員会 第33号

また、東京大学医学部伝染病研究所の中においても、ツツガムシ類研究を含むテーマについて、この四〇六研究所委託研究を行なっている、こういうこともこの研究所員からいわれているわけであります。こういう点についてどのように政府は思うか、またこういうことが事実かどうか、この点について伺いたいわけです。

伊藤惣助丸

1969-04-02 第61回国会 衆議院 文教委員会 第9号

なお、現在あるものについても再検討して、思い切った改廃を考えろということでございますが、なかなか思い切ったというところまでまいりませんけれども、従来とも、たとえば東京大学伝染病研究所を、伝染病という狭い角度ではなしに、医科学研究所といったような形に改組いたしますとか、そういう形で、研究目的の達成、あるいは研究目標変化、あるいは研究課題学術科学変化に対応する体制への即応ということから変えてまいるといったような

村山松雄

1967-10-11 第56回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

○山本(政)委員 私は確かに、旧伝研というのは、大正三年ですか、当時の東京帝国大学附属伝染病研究所になったということは承知いたしております。しかし明治二十五年に大日本私立衛生会附属伝染病研究所から発足をして、そしてその中の経過を見ていくと、これはやはりどう考えても研究部門だ。

山本政弘

1967-05-25 第55回国会 参議院 文教委員会 第8号

最近、ますます重要となっております脳及び脳疾患に関する研究を推進するため、脳研究所新潟大学に、また近年急速に進展を見せております霊長類研究を総合的に推進するため、共同利用研究所として霊長類研究所京都大学にそれぞれ設置するとともに、東京大学に付置されております伝染病研究所名称医科学研究所と改め、これに伴いその研究対象を拡大し、研究方法も新たな方法を取り入れることとするなど、四大学の四研究所

剱木亨弘

1967-05-25 第55回国会 衆議院 本会議 第16号

本案の要旨は、  第一に、北海道大学等国立大学に九学部を新設すること  第二に、大阪学芸大学を大阪教育大学に、秋田大学及び大阪学芸大学学芸学部教育学部に、それぞれ名称を改めること  第三に、九州芸術工科大学を新設すること  第四に、帯広畜産大学等国立大学大学院を新設すること  第五に、新潟大学脳研究所を、京都大学共同利用霊長類研究所を、それぞれ付置し、東京大学付置伝染病研究所等四国立大学

床次徳二

1967-05-10 第55回国会 衆議院 文教委員会 第5号

最近、ますます重要となってきております脳及び脳疾患に関する研究を推進するため、脳研究所新潟大学に、また近年急速に進展を見せております霊長類研究を総合的に推進するため、共同利用研究所として霊長類研究所京都大学にそれぞれ設置するとともに、東京大学に付置されております伝染病研究所名称医科学研究所と改め、これに伴いその研究対象を拡大し、研究方法も新たな方法を取り入れることとするなど、四大学の四研究所

剱木亨弘

1965-03-31 第48回国会 参議院 内閣委員会 第16号

国務大臣愛知揆一君) 医学教育研究充実ということについては、重点を置きまして、特に国立大学医学部の講座、研究施設付置研究所、それから付属病院における研究充実ということが、項目としてあげ得るかと思いますが、もう少し具体的に申しますと、たとえば東大伝染病研究所を初め、医学系研究所が十六、それから医学部及び付属病院が二十一、研究施設三十三というような研究組織を設置しているわけでございますが

愛知揆一

1965-02-25 第48回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第4号

伝染病研究所松沢病院がなぜ東京になければならぬのか。はなはだしきは死刑執行の場所までも東京へ持ってこようとしておる。こういうことで年間に百万ずつも東京人口がふえる。だからいかにあなたが実業家の経験をもって国鉄におっても、過密人口は解決できません。過密ダイヤは解決できない。

田原春次

1964-04-09 第46回国会 衆議院 社会労働委員会 第31号

われわれのように、昔教育公務員でありまして、戦後予防衛生研究所ができたときに伝染病研究所から半分移ったという者は自然的に研究公務員へ移ったわけでございますが、そういう待遇上の違いというものがいつの間にかできてしまっているということで、研究公務員全般の大きな関心事だと思いますので、これは人事院の問題としても総合的に御解決をぜひお願いしたいとわれわれは熱望いたしておる次第でございます。  

多ケ谷勇